2013年08月02日
バスでみつけた普段着の沖縄1「浅野浦」
バス停からみえる普段着の沖縄。今回は浦添バイパス「浅野浦」です。
浦添市は王朝時代の趣をただよわせますが、比較的新しい地域が浅野浦。
運動公園入口にあたるバス停だということで、「てだこ祭り」で利用した方も多いと感じます。
浦添市誌を読みますと、地区として成立したのは昭和50年前後
昭和20年のころは民家がないと思います。松林だったらしい。
詳しくは「浦添市誌」や「浦添市図書館」で確認できます。著作権の都合で簡単な説明です。
どのような場所かと、バス停へ下車して信号を渡り地域内へと歩く。
やはり計画的な道や家づくりがされてます。
浦添パイプライン沿いは賑やかながらも、ゆったりした街並みで現代風。
ウエブでは素敵な情報もわかりました。
新報ローカルブログ→(検索)浅野浦
地域活動が活発です。市内の各地にある「おもろの碑」が「あさやら公園内」にあるらしいですが、今度の機会に訪れたいですね。
詳しいことは、リンク先の記事を読んでいただけば、説明するよりわかりやすいでしょう。
ティーダブログでは 浅野浦少年野球ブログ が更新されてます。
身内の連絡が主ですが、地域の子供たちが元気に活動してるようすが伝わる感じ。
それで、バス停へ戻せば、浦添市運動公園の場所は小高い森だったように思える。
坂道が多いのは山道の名残りでしょうか。
確かめようと過去へ、、行けませんけど、、
運動公園の前の姿は「浦添市誌・7巻」に写真が載ってます。
グランド、野球場あたりでしょう、盆地になってるのも偶然か?
バス停からちょっと歩く。そこに素晴らしい発見があります。
自動車で素通りしてしまう普段着の沖縄。
これから、もっと充実した記事になるように写真とかもupしたいですね。
浦添市は王朝時代の趣をただよわせますが、比較的新しい地域が浅野浦。
運動公園入口にあたるバス停だということで、「てだこ祭り」で利用した方も多いと感じます。
浦添市誌を読みますと、地区として成立したのは昭和50年前後
昭和20年のころは民家がないと思います。松林だったらしい。
詳しくは「浦添市誌」や「浦添市図書館」で確認できます。著作権の都合で簡単な説明です。
どのような場所かと、バス停へ下車して信号を渡り地域内へと歩く。
やはり計画的な道や家づくりがされてます。
浦添パイプライン沿いは賑やかながらも、ゆったりした街並みで現代風。
ウエブでは素敵な情報もわかりました。
新報ローカルブログ→(検索)浅野浦
地域活動が活発です。市内の各地にある「おもろの碑」が「あさやら公園内」にあるらしいですが、今度の機会に訪れたいですね。
詳しいことは、リンク先の記事を読んでいただけば、説明するよりわかりやすいでしょう。
ティーダブログでは 浅野浦少年野球ブログ が更新されてます。
身内の連絡が主ですが、地域の子供たちが元気に活動してるようすが伝わる感じ。
それで、バス停へ戻せば、浦添市運動公園の場所は小高い森だったように思える。
坂道が多いのは山道の名残りでしょうか。
確かめようと過去へ、、行けませんけど、、
運動公園の前の姿は「浦添市誌・7巻」に写真が載ってます。
グランド、野球場あたりでしょう、盆地になってるのも偶然か?
バス停からちょっと歩く。そこに素晴らしい発見があります。
自動車で素通りしてしまう普段着の沖縄。
これから、もっと充実した記事になるように写真とかもupしたいですね。
Posted by 春緒うるま at 16:39
│バス党後方支援net